「けどね。あたしだってそりゃ最初はね。戦争の悲惨さは後世に伝えなきゃとか、ご立派な考えも持ったさ」。
お茶を入れながら原爆ばあさん。
「最初ん時は、先生様がわざわざ原稿書いてくださった。けど、アタシは字が読めなかったからね」
「ええ・・・」
「そいで先生方の用意したスライドをね。見せるわけだけど、相手は小学生だよ?中学生くらいならいざ知らず」
「気味悪がった?」
「そうそう。小学生に、おんなじ年頃の子のケロイドなんか見せたってねぇ。気持ち悪がるだけさね」。
おそらく早苗さんの時のことです。彼女こそが「気持ち悪い」と最初に言った小学生。
考えてみれば、実に正直な発言です。
「広島にいたアタシにとっちゃ思い出したくもない風景だしね・・・」
「そうですね・・・」
「どうせ怖がるだけならさぁ。いっそ怪談のほうがマシってもんだろ?子供ってのは、怖がりながらも聴きたがるからね」。
なるほど・・・。言われてみれば。
原爆ばあさん、思った以上の策士です。
「息子にも。ひどい火傷があったからね・・・」
「原爆で・・・ですか?」
「ちがうよ」
「?」
「広島にはね。6月にとうかさん祭りってのがあってね」
<とうかさん祭り=稲荷山祭りと書く。初ゆかたを着るという長い歴史のある行事。戦時中も中止されず、原爆投下のあった年にも行われた>
「その日は、男も女も新しいゆかたを着るんだ。初ゆかたって言ってね。息子は毎年楽しみにしてたんだ」。
「初ゆかた?」
このあたりでは、聴かない言葉です。
「こっち来たらそういう祭りはないからね。お稲荷さんの夏祭りにね。新しいゆかた、やっとこさ、しつらえてさ。連れてった」
やはり。
原爆で亡くなったんじゃない・・・。
「あそこのお稲荷さん?」
「そうそう。アンタらが下痢逃げしたとこだよ!」
下痢逃げって・・・・。
・・・したのは久保くんだけなんですけど。
「けど、このあたりじゃ、真新しいゆかたなんて珍しい頃だった。男の子だとなおさらね。それが気に入らなかったのか・・・」
おばあさんは、またこここで言葉をつまらせました。
「・・・ゆかたの袖にさ。タバコの燃えさし入れられてね・・・・」
「タバコ?」
「綿は燃えやすいんだ。気づいたときには、袖から燃え出してて・・・」
「!」
「大騒ぎになってね。けど、誰も手を貸してもくれない」
「・・・・・・・・・・」
「あつい、あついってね・・・・お母ちゃん、たすけて、たすけて、って・・・・」。
・・・・あつい・・・・あつい?
「あたしゃね。こんな目に遭うくらいなら、まだ広島で仲間といっしょにピカドンのほうがましだったってね・・・」
なんという・・・・。
「す・・・・すみませんでした」。
「はぁ?なんだってお前さんがあやまんのさ?」
「いえ。だって。僕たちの町の人なんでしょう?」
「わかんないね。お祭りだから、あちこちから集まるしね」
「でも・・・・」。
「警察だってね。まともにとりあっちゃくんない。お稲荷さんだから狐火だろうとか、コケにされて」
狐火・・・・
「大やけどおってんのにさ。広島ってんでね。病院も受け付けなくって」
「それで・・・・?」
「気のいい町医者さんがいて、診てくれたけどね・・・・。ずいぶんと経っててね・・・」
「命はりとめたけど。その火傷までピカドンだピカドンだって、さ。毎日毎日石ぶっつけられては泣いて帰って来て・・・」
「・・・・・・」
「おかげで、最後の1年まで、かわいそうだったよ。あの子は」
「最後の・・・・」
「1年って・・・・」
「アタシが代わってやりたかったよ・・・」
もう一度仏壇に向かう原爆ばあさん。
「ばあちゃん・・・悪いこと聴いちゃったな・・・」
と、孝昭くん。
「いいさ。ほかならぬ孝昭だしね。あんたんちには、そんな中でもほんっとよくしてもらったんだから。あんたんちが近所にあったのは、幸いだったよ。これでも感謝してんだよ。孝昭」。
僕はそれを聴いて、少しだけ安堵しました。
必ずしも、全戸が全戸、差別をしていなかったことがわかったからです。
「よ、よせやい!今さら気持ちわるいぜ。ばあさん!」
母は、孝昭くんの家の教育を褒めちぎっていましたが、それは間違いないことでした。
バスの代金を立替えた娘。
役所の職員に自分のことのように殴りかかった息子。
そして、親切に接したその親も。
同じことを、僕はできるでしょうか?
たとえば、周り中に差別の風の吹く中で。
ふと、仏壇にかざってある写真が目に入りました。
まじめにカメラをにらむ少年。
が、その子の写真にケロイドは見当たりません。
修正したんだ・・・。
おそらく、おばあさんは、せめて写真だけでも、ケロイドをとってあげたかったのでしょう。
当時の修正は、写真屋さんが書き足すか、他の写真を重ねて焼き付けるものです。
たぶん、これが「透き通った写真」の種明かしです。
「さて。おばばの長い話につきあってもらっちゃったからね。お礼にパンツでも見せてあげようかね」。
これに西条くん。
「じゃ、見せてもらおっかな。せっかくだし。なぁ、孝昭」
「そうだな。小股の切れ上がったヤツ」。
「えっ!」
今回は西条くんが勝ちました。



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▲16章 目次へ
お茶を入れながら原爆ばあさん。
「最初ん時は、先生様がわざわざ原稿書いてくださった。けど、アタシは字が読めなかったからね」
「ええ・・・」
「そいで先生方の用意したスライドをね。見せるわけだけど、相手は小学生だよ?中学生くらいならいざ知らず」
「気味悪がった?」
「そうそう。小学生に、おんなじ年頃の子のケロイドなんか見せたってねぇ。気持ち悪がるだけさね」。
おそらく早苗さんの時のことです。彼女こそが「気持ち悪い」と最初に言った小学生。
考えてみれば、実に正直な発言です。
「広島にいたアタシにとっちゃ思い出したくもない風景だしね・・・」
「そうですね・・・」
「どうせ怖がるだけならさぁ。いっそ怪談のほうがマシってもんだろ?子供ってのは、怖がりながらも聴きたがるからね」。
なるほど・・・。言われてみれば。
原爆ばあさん、思った以上の策士です。
「息子にも。ひどい火傷があったからね・・・」
「原爆で・・・ですか?」
「ちがうよ」
「?」
「広島にはね。6月にとうかさん祭りってのがあってね」
<とうかさん祭り=稲荷山祭りと書く。初ゆかたを着るという長い歴史のある行事。戦時中も中止されず、原爆投下のあった年にも行われた>
「その日は、男も女も新しいゆかたを着るんだ。初ゆかたって言ってね。息子は毎年楽しみにしてたんだ」。
「初ゆかた?」
このあたりでは、聴かない言葉です。
「こっち来たらそういう祭りはないからね。お稲荷さんの夏祭りにね。新しいゆかた、やっとこさ、しつらえてさ。連れてった」
やはり。
原爆で亡くなったんじゃない・・・。
「あそこのお稲荷さん?」
「そうそう。アンタらが下痢逃げしたとこだよ!」
下痢逃げって・・・・。
・・・したのは久保くんだけなんですけど。
「けど、このあたりじゃ、真新しいゆかたなんて珍しい頃だった。男の子だとなおさらね。それが気に入らなかったのか・・・」
おばあさんは、またこここで言葉をつまらせました。
「・・・ゆかたの袖にさ。タバコの燃えさし入れられてね・・・・」
「タバコ?」
「綿は燃えやすいんだ。気づいたときには、袖から燃え出してて・・・」
「!」
「大騒ぎになってね。けど、誰も手を貸してもくれない」
「・・・・・・・・・・」
「あつい、あついってね・・・・お母ちゃん、たすけて、たすけて、って・・・・」。
・・・・あつい・・・・あつい?
「あたしゃね。こんな目に遭うくらいなら、まだ広島で仲間といっしょにピカドンのほうがましだったってね・・・」
なんという・・・・。
「す・・・・すみませんでした」。
「はぁ?なんだってお前さんがあやまんのさ?」
「いえ。だって。僕たちの町の人なんでしょう?」
「わかんないね。お祭りだから、あちこちから集まるしね」
「でも・・・・」。
「警察だってね。まともにとりあっちゃくんない。お稲荷さんだから狐火だろうとか、コケにされて」
狐火・・・・
「大やけどおってんのにさ。広島ってんでね。病院も受け付けなくって」
「それで・・・・?」
「気のいい町医者さんがいて、診てくれたけどね・・・・。ずいぶんと経っててね・・・」
「命はりとめたけど。その火傷までピカドンだピカドンだって、さ。毎日毎日石ぶっつけられては泣いて帰って来て・・・」
「・・・・・・」
「おかげで、最後の1年まで、かわいそうだったよ。あの子は」
「最後の・・・・」
「1年って・・・・」
「アタシが代わってやりたかったよ・・・」
もう一度仏壇に向かう原爆ばあさん。
「ばあちゃん・・・悪いこと聴いちゃったな・・・」
と、孝昭くん。
「いいさ。ほかならぬ孝昭だしね。あんたんちには、そんな中でもほんっとよくしてもらったんだから。あんたんちが近所にあったのは、幸いだったよ。これでも感謝してんだよ。孝昭」。
僕はそれを聴いて、少しだけ安堵しました。
必ずしも、全戸が全戸、差別をしていなかったことがわかったからです。
「よ、よせやい!今さら気持ちわるいぜ。ばあさん!」
母は、孝昭くんの家の教育を褒めちぎっていましたが、それは間違いないことでした。
バスの代金を立替えた娘。
役所の職員に自分のことのように殴りかかった息子。
そして、親切に接したその親も。
同じことを、僕はできるでしょうか?
たとえば、周り中に差別の風の吹く中で。
ふと、仏壇にかざってある写真が目に入りました。
まじめにカメラをにらむ少年。
が、その子の写真にケロイドは見当たりません。
修正したんだ・・・。
おそらく、おばあさんは、せめて写真だけでも、ケロイドをとってあげたかったのでしょう。
当時の修正は、写真屋さんが書き足すか、他の写真を重ねて焼き付けるものです。
たぶん、これが「透き通った写真」の種明かしです。
「さて。おばばの長い話につきあってもらっちゃったからね。お礼にパンツでも見せてあげようかね」。
これに西条くん。
「じゃ、見せてもらおっかな。せっかくだし。なぁ、孝昭」
「そうだな。小股の切れ上がったヤツ」。
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一番ですか?
下痢逃げ、、って。。笑
家の前にされたら
もしかして1番!?
初米です。2番かな?
原爆ばあさん・・・つらい過去を持ってたんですね・・・
つながりましたね・・・こんな過去があったなんて・・・
差別・・・う~ん。色々考えさせられますね・・・
僕たちの町の人の為に謝れるママチャリさんんも結構素敵ですよ
二番かな?
うーん・・・。
なんだか言葉が見つからないです。
辛い話です。
改めて孝昭を尊敬する。
人には言えない過去なんですね…。
西条やっと勝てましたね
これでやっとばあさんの事がわかりました。
それにしてもやっぱり原爆の差別ってのはひどいです・・・
孝昭家の教育はすばらしいですね
ゆかたにたばこ・・・。
ひどすぎる!
その時のことを想像すると涙が出てきます・・・。
子供がそんなことになったのを見てるしかないなんて、自分がなるよりももっとずっと辛かったと思います。『せめて写真だけでもケロイドをとってあげたかった』ってとこが悲しすぎます・・・!
あーもうやっぱ孝昭大好き!!!泣
人の偏見が集まって,社会の偏見になり,小さな命を奪ってしまったんですか…
巨大すぎましたよね。
その頃のおばぁさんとお子さんにとって…
せめて,今はそんな差別がなくなるように勤めたいですね。
今電車なんですが,泣きそうです…
>ゆーみんさん <それなりに重要>
浴衣や和服の袖にタバコを入れる、という言語道断な悪戯は、当時けっこう聴きました。
今とちがって、どこでもタバコを吸えた時代の話です。
まんざらフィクションでもないんですよ。
今でもたまに初詣で着物を切る悪戯とか聴きますが、なんでそういうことをする人がいるのか不思議です。
綿のゆかたが燃えるか?と言いますと、これが燃えるらしいんです。
消防では、燃焼性着衣として、注意をうながしており、ストーブから着火して、死亡された人もいるんですよ。
あついあついって…
ひどい話、悲しい話ですね(;ω;)
中学生の頃に原爆ドームや博物館へ行きましたが、悲惨であった。という印象が先立っていました。
被害にあわれた方以外にも移住された方にこんな差別があったとは・・・・・。
つらい現実です。
>おだずもっこさん<重要>
後に出て来ますが、おばあさんの息子さんが亡くなった原因は、あくまで原爆症であって、この火傷が原因ではありません。
なんというか、言葉がでてきません…
広島に住んでいた人達への差別があったというのはしっていましたが、実状がわかっていたわけではなく、こんなひどい例があったとは。
私もママチャリくんと同じく、わが身を振り返りたいと思います。自分は流されることなく接することができるだろうか…?
孝昭くん家は素晴らしいですね
原爆は話でしか聞いたことないですが、
やっぱり、全世界の人に忘れてほしくないです。
長崎と広島。
核の怖さ。
戦争の悲しさ。虚しさ。
もうすぐとうかさんの時期です。
あたしも何度か行きましたが、
浴衣姿の人たちを見るたび、この話思い出してしまいそうです。
原爆に限らず身の回りに何かにつけ、必ずある『差別』という行為。
最低限人としてのモラルは持っていたいものですね。
広島・長崎の原爆被害、また、その差別は目をそらしてしまいがちな問題なだけに、今回の話はとても考えさせられました。
僕自身、原爆は歴史の用語として扱っていたことは否めません(-_-;)
ロッテンさんのパンツにも息子さんに関わる何か深い意味があるのでしょうか?
心が痛みます…
自分もこんなことになったらと考えたら、涙があふれてきました
こっくりさん半分当たっていましたね!
だけど、原爆ばあさんも自分の過去を話すのは、つらかったでしょうね。
今でも続いてるとうかさんわ来週ぐらいにあります
この話は何十回と聞きましたがいつ聴いてもいやです
私は原爆の事は詳しくは知りませんでしたが学校やテレビなどで言っていることはホントに表面上だけで全然真実を伝えてくれはしないんだなぁと思いました。
現地の方々は思い出したくもないだろうけど原爆の悲惨さを後世に伝えようと残した原爆ドームも原爆が落ちた時は悲惨だったという事がわかりますがその後後遺症や差別で苦しんだ人たちの事はわかりません
現在でも例えば熱が高いと言っただけで病院でみてもらえなかったり隔離されたり
感染を防ぐために仕方ないかもしれませんが少しやりすぎな気もします
世界から差別や偏見を無くすのは難しいと思いますが自分の周りでは少しでも無くしたいと思いました。
タバコをつかったイタズラ、というより
火遊びはやめてほしいもんです。
でも、原爆婆さんは、息子が焼かれている時、その後のせっしかたにかいまみえる人間の冷たさを
どれほど悔しく思ったんでしょう?
人間少しの勘違いで冷酷にもなる。
でも、孝昭みたいに一人の人間として
考え、クソ婆ァといってやれるくらいに
なりたいですよね。
中学校で平和学習が
何度もありましたが、習ったのは
日本が他の国にされたことや
日本が他の国にしてしまったことだけです。
国が違っても、差別なんて
許されないのに
日本人が日本人にこんな
差別をしていたなんて
知りませんでした。
井上君たちがコックリさんやっていた時の「あつい」っていうのはそういうことだったんですね!!
1つ謎が解けましたね!!
初詣で着物を切る悪戯とか
悪戯ではありません 犯罪です
原爆
当時ピカがうつると差別があった話良く聞きました
新型インフルエンザでも発症者が居た地域の人ってだけで仕事に支障をきたしたり・・・
気持はわかるけど冷静な対応希望します
ロッテンマイヤーさんの息子さんは、被爆はしてなかったんですね
なのに、広島ってだけで火傷させられたり石投げられたりする意味が分からない
あたしは差別しない人になりたい
追記
当時ピカがうつると差別があった
周辺地域から被災者救護や後片付けで広島市に行った人が残留放射能で被爆して死んだりした為
感染すると誤解された結果・・・
考えさせられました。
もし、自分が早苗さんや孝昭くんの立場だったら、おばあさんに優しくできたのか…。
はっきり言って自信はないです。
簡単にできることではないと思いますし、当たり前にできる早苗さん、孝昭くん、2人を育てたご両親はとても偉大です。
涙が出そうです(;ω;)
心ない人はいつの時代もいるけれど、
それでも孝昭くん家のように
温かい心のひともいるんだなと思いました。
あたしも早苗さんみたいなひとになりたいです
(°υ°)☆
こんな歴史があるなんて全く知らないので、勉強になります。
よく戦争は悲惨だっていうけど、教科書じゃあまり分かんないけど、こう聞くとより実感が湧きます。
うぅ…。
読んでて苦しくなりました。
孝昭くん一家は本当に素晴らしいですね。
差別がない世の中だったらこんなことは起きなかったんですよね?!
あう…
なんてことを
日本ってすごく周囲の目を気にする国だと思うから、それを気にせず温かく接する孝昭くん一家はとても素晴らしいと思います。ただでさえ原爆で心に傷を負った人に辛くあたるなんてあまりにも残酷ですもんね。
読んでて、本当につらくて、こんな現実があるんだってことを知って、信じられないような気持になりました。
とってもいろんなことを考えさせられるお話でした。
私も、孝昭くんや早苗さんのような人になりたい、と思いました。
傍で人が燃えてても誰も助けないなんてー。
せめてバケツとかに水くらい持ってきてやれよ、と思いましたが、それが差別というものなんでしょうか。。
孝昭くんちは本当に立派です。
ウチも子ども達にそういうことちゃんと教えなければ、まず自分がそう振る舞わなければ、と思います。
広島に住んでいたことがあるので、『とうかさん』も知ってます。
なので、余計感情移入もして読みました。
今、再び北朝鮮がミサイル飛ばしてて
戦争というか、争いってのはホント世界にはまだたくさんあるんですよね・・・
なんか、もっとたくさんの人に読んで欲しいです!!
出来れば北朝鮮の人にも
自分たちが今何しようとしてるのか・・・考えて欲しいものです。
そうだよね~
「せめて小股の切れ上がったのみせてもらおう」って・・・
そう言うのが、精一杯だよね
つらいですね。
胸の辺りが苦しくなってきました。
神童タカさんのようになりたい、の気持ちは 変わりませんが 孝昭くん・早苗さんの御両親みないな優しさを私も娘達に教えて行きたいな…
本当にそんな差別があったと知ってびっくりしたし、悲しくなりました…
私たちは絶対しちゃいけないですね><
ひどい話ですねぇ、、、
下痢逃げ、
\(゜ロ\)
初米です
教科書では知ることの出来ない現実を知ることが出来ました。
悪いことをした訳では無いのに世間からは冷たい目で見られていたのですね…
私も孝昭くんの家族のような行き方をしたいです。
早苗さん・孝昭くん姉弟を育てたご両親って、
ホントにすばらしい教育をされたんですね。
学校ではまず教えてくれそうにない、人間としての教育を・・・・
でも、同じ町の人がしたことだから、と
謝罪の言葉を口にするママチャリくんを育てたタカさんも、
すばらしい教育をされていますよね。
謝ればいい、というものでは決してないけれど、
おばば様と息子さんの痛みを我が事のように感じられる心がないと、
そういう気持ちにはなれないでしょうから・・・・。
幼馴染が、父親が原爆にあってたから遺伝しないのか心配していたのを想い出しました。
戦後の生まれなのに、そんな心配まで後々まで残すなんてやり切れません。
こんな話が進む中で北朝鮮が核実験をしたのは許せません。
なかなか深いですね~(´ω`)
回りの差別の中で親切に接した孝昭の両親はすごいですね。シリアスでしたが、いい話でした。次に期待します(´∀`)
シリアスでしたが考えさせられました
北のこともあるので原爆とか
はなくしてほしいですね
唯一落とされた日本の使命として
小股の切れ上がった・・・
誰か意味を教えてあげねばw
とかいう私もあんま理解しておらず
やっぱ、悲しいお話の中にも
ぼくちゅうは暖かさがどこかにありますよね
やっぱ孝昭くんみたいなひとがいないと
おばば様きついですもんね
三重に住んでおった時に原爆の放射能も残留しとるし極悪非道な(893)人間ばかりだから足を踏みいれんほうが良いと言われたのは差別的要素があったんですね。30年前の事ですがね。
被爆者に対してもそうですがハンディキャップをもたれてる方に対してもありますよね。
衝撃を受けました。なんだか胸をぎゅっと掴まれたみたいに苦しくなりました。
冗談半分?でそんなことができる人がいたことが信じられません(´Д`)
もし身の周りに誰かを差別する雰囲気があったとして、孝昭家のように周りに流されることなく手を差しのべることを、私もできるだろうか?と、考えました。
不当な差別だって思っても、行動する前に私が真っ先に考えてしまうのはきっと、その誰かに手を差しのべることで自分にも何か影響があるかもしれないということでしょう。それが怖くて周りに流されてしまうかもしれない‥‥と思いました。
孝昭クンや早苗さんの立派な姿から、自分の弱さを感じずにはいられませんでした。私も彼らのような、思いやりや優しさ、勇気を持つ強い人間にならなければいけないと思います。
この話を読んで、私は戦争について表面的なことしか知らず、深いところの個人個人が受けた苦しみについてはほとんどわかっていなかったと思いました。
本当に勉強になりました。
世界が、戦争のない平和な世の中を一刻も早く手にすることを祈ってます(>_<)
このコメントは管理人のみ閲覧できます
おばあさんと息子さんのことを思うと本当につらくなります。
おばあさん以外に誰か1人でも息子さんを守る、みんなを止める勇気がある人がいれば、たぶん全然違ったでしょうに
僕もそういう人になれたら、、ってかならなきゃ。ですね(・‐・)>
今回の話は読みながら色々と考えさせられる話でしたね。ただ広島に居たって事だけで、そんな酷い差別があったなんて…。
原爆ばあさんの気持ちが痛そうでしたね。
最後の西条くんと孝昭くんの返しは想像してませんでしたけど、微笑ましく感じました(*≧m≦)
下痢逃げって。そんな言われ方嫌だなぁ。
いろいろ考えさせられます。
読んでるときは「差別なんて!」と思うんですが、実際にその状況になってしまった時に孝昭くんやお欄さんのような行動がとれるかというとちょっと悩んでしまう自分がいたり。そんな自分も嫌だなと思ったり。
難しいなぁ。
ひどい話ですね。広島から来たからって・・・
それに警察まで・・・
原ばっ、ロッテンマイヤーさんはさぞ悔しかったでしょう。
考えさせられる...
哀しいことです。
戦争はどこまでいっても悲惨です。
後々まで悪影響を与えますね。
立派ですね、孝昭家。
もし自分だったら、差別を受けている人に手を差しのべることで、自分がどうなるのか考えてしまいます…
そんな自分を変えたいけどなかなか。
いろいろと深く考えさせてもらいました。
自分に何がどこまでできるか自信はないけど、孝昭くんやママチャリのようなこころを持つ側の人間でありたい。
仲間とピカドンの方が良かった…なんて、ある意味平和な今でも荒廃した心の人の中で生きていく方がより一層辛いのかもしれない…
西条君の愛を感じました 本当にヤツはぼく駐に必需品ですねぇ
でも、早くジェミ~の出番を…
彼こそぼく駐のウラ主人公でしょ~(笑)
孝昭くんの家は「本当の英雄」ファミリーですね。
とっても素敵です。
おばば様の家の近くに、孝昭くんの家があってよかった。
>ゆうちゃん<なんていうか重要?>
これ、僕らが1年生ですから、待てどくらせどジェミーは出て来ませんよ?
入学してませんから。
広島の人が差別されていたなんて、知りませんでした。しかしこれを読んでなるほど、当時ならそういうこともあるだろうし、ただ放射能への無知という以上に暴力的な差別があったろうなと思います。
今日はいつもよりみなさんのコメントもよく読んで興味深かったです。
西条、ばあちゃんのパンツみるなんて、器が大きな人間だなーー!
ピカの被害にあった方が
ひどい差別を受けてきたことは、前に裸足のゲンを見た時に知りました。
もし私が孝昭だったらと考えると、私もママチャリと同じ気持ちになりました。
原爆の方がましと思わせる差別・・・・・辛い実話ですね。
以前広島に居た頃、平和資料館の周辺の河辺で、座りこんで泣いている方を見かけた事があります。外国の人でしたが
ガイドの方の話しが聞こえてきたんですが、同じ爆心地の広島市の中でも同じような事がたくさんあったそうです。
身体のあちこちに出来たケロイドや脱毛した髪の毛、眉毛の無い顔、
ケガで不自由な身体を引きずるようにして仕事や食料品を探す人
その人達にも同じ以上な差別やいじめ・リンチがあったそうです。
そして、おいらがたって聞いてた河辺でも、被爆の直後ケロイドの身体を冷やそうとして、ショック死された方がたくさんいたそうです。
差別も人を救えるのも、考え方と心と行動次第かなと考えさせられました。
あぁ~、今日も真面目なお米が残せたなぁ~。
小股の切れ上がったパンティ履いたママチャリくんか・・・・・岩投げちゃる!!
西条くん一本!
いやぁ、なんだかエロキャラ以外で武闘以外でのイイ感じの西条くんが久々に見れました。
やっぱ、イイばあさんなのかなぁ?
変に曲がってない、イイばあさんであって欲しい。
こっくりさんの疑問が着々と晴れてきそうですね
悲しいお話が背景にあったのは気がかりですが…それに、過去のことと言ってもこんなことがあったというのは非常に残念です。
こういうことを伝えていくためにも、このブログを残していかなきゃいけませんね
孝昭の家族 いい
毎日読んでいますが、MINT倶楽部フィナーレで初米して以来、なかなかコメ書く勇気がでず。。
としてるうちに、もう45話!!くろわっさん、おつかれさまです。今日はちゃんとらんくりもしましたよw
ほかで取り上げづらいような内容も、ぼくちゅうのキャラたちでわかりやすくとりあげてくださるくろわっさんには本当に脱帽です。
はやいとこ、文部科学省の推薦こないですかねw
これからもギャグに教養にストーリー構成に、本当に大変だと思いますが、毎日楽しみに更新待っていますのでがんばってください!!
悲しいお話ですね
なんて悲しいんだ
それでも、戦争の恐ろしさは伝承さないと。
原爆ばあさんは、ただの悪い人ではなかった
それで怪談話だったんですか。
そーいえば、ロッテンマイヤーさんの本名って??
くろわっサン、おはようございます
朝から切ないです…
西条&孝昭コンビのオチに、少しだけ救われました。
>同じことを、僕はできるでしょうか? たとえば、周り中に差別の風の吹く中で。
・・・正直言って自信がありません。 けど早苗さんや孝昭君のご両親のように私自身変わる努力を、そして子供にも教えていけたらと思います。
ワッサマ、米のお返事ありがとうございました。o(_ _*)o
中ボ~のジェミ~がヒョイと登場 …なんて、ないっすか?
今回のお話は切なくなるところがいっぱい。
町全体でのイジメ・・・やりきれないつらい思いをたくさんしてきた原爆ばあさんの事を考えると胸が苦しくなります。
そしてそんな原爆ばあさんに親切にして来た孝昭くん一家は、おばあさんにとっていちるの光のようなものだったんでしょうね。
孝昭くん一家素晴らしいです。
こんにちは。
ぼくちゅうにとうかさんが出て来てちょっとびっくりしてる、広島のやすです。
去年の今日、子どもが産まれてもう1年、元気に育ってます!
コメントした時にお祝いしてくれた人、ありがとうございます。m(_ _)m
孝昭一家はすごいなぁ~
他人を思いやる心を持てば差別はなくなる!!
心を持つのは簡単だけど,実際には周りの目が気になって何も出来ないんだろうな(・_・;)
哀しいです・・・
おばあさんと息子さんを誰も助けてくれなかったということにやるせなさを感じます。
けど自分だったらどうか、って正直自信ないです
孝昭くん一家はすごいです!!
そういう風になりたいです!
いじめって集団でやると罪の意識が薄れちゃうんですよね・・・
いじめた子が悪いんじゃなくて、しっかりとした教育をしていない大人が悪いのだと僕は思います。
広島のやすサン
お子さんお誕生日だったんですかぁ~
去年はまだいなかったのでお祝い出来ませんでしたので,改めて☆
おめでとうございます
今少し凹んでたので,なんだか元気が出ました
ありがとうございます(●´艸`)
原爆そのものの被害も忘れてはなりませんが、今回くろわっさんが話しておられるような、もしかしたら自分も流されて、見てみぬ振りをしてしまったかもしれない「普通の人々」の罪も、忘れてはいけないのですね。
いえ、むしろそれこそが大切なのかもしれません。
難しいことですが、孝明家のご両親のように、子供に伝えて行かなければいけませんね。
相変わらず考えさせられるなぁ…
知らないっていうことは罪ですね
原爆について正しい知識があれば違うんでしょうが…
ただでさえつらいのに差別だなんて・・・
人間って悲しいですね・・なんにもしてないけど無視した人も悲しいですよね
この思いちゃんと受け継ぎます!(^-^)
何て酷い・・・涙が出ます。
今現代も差別は根強いですよね・・・。
差別を受ける側と、差別をする側と
一体何が違うというのでしょう。
同じ人間、生きているだけなのに。
胸が痛いお話でした…。
周囲が辛く当たる中での、孝昭くんご家族の温かさにはジンと来ます。
過去は消せないし戻せないですが、ぼくちゅうで知り得た様々な事が、今後の優しい道に繋がっていきますように。
被爆者へこんな差別があったとは知りませんでした。
よく解らないものや見た目恐ろしいものに対して、人は攻撃して安定を図ろうとしますよね。
弱者なら反撃してこないので、今度は自分達の鬱憤晴らしの対象としてしまい、優位に立とうとする人間のエゴ。
今回も色々と考えさせられます。
孝昭くん早苗さんのような考え方に育てられる大人はどの位いるのでしょうね。
今日のニュースで、原爆症認定の基準拡大って聞きました。
くろわっさんのおかげ?
被爆者に対する差別も酷いものだったんですね。でも一体なんでつよし君の霊が狐狗狸さんで呼び寄せられたんだろう?
自分広島なんでよく
原爆の授業あったり
したんですが、差別なんて
全く知りませんでした。
とうかさんもそんな意味
があるなんて知りませんでした。
もうすぐなんですよー
これで「あつい」の謎が1つわかったとして、まだ「つくし」が残ってますね。
私は本当の英雄が書き下ろしされる前から孝昭くんが大好きでした。
今回の話で、もっと孝昭くんのファンが増えるでしょうね。
で…
私は孝昭くんの両親のようになれているか?と自問自答。
こういうことに関して、子供への躾とか教育とか、何1つしていません。
がしかし、私自身の背中を見て育ってるはずなんで、いちいち口に出さなくても伝わっているはず。
ドラマを見てるときや、学校内での出来事に対する子供の発言を聞いてる限り、私の生きざまは、そんなに間違ってないかな?と。
ばあさんもっけっこう頭いい人なんだぁ
西条が勝とか以外!
おだずもっこサン
お祝いコメントありがとうございます(^o^)/
子どもはグッスリ寝ております
孝昭くんみたいにいい子に育ってくれたらいいな(^O^)
来月3,4,5日に二男は修学旅行で広島、岡山
瀬戸内海の島に行きます。
広島で「平和の子の像」で平和セレモニーがあるそうですが、「ぼくちゅう」二男にも読ませました。
戦争や平和についてただ見て学ぶのではなく
もう一歩踏み込んだものを感じてくれる修学旅行であってほしいと思いました。
先日両親とネットを見ながら
まだ差別(出身地とか)が残っていて
冤罪で死刑にされてしまった人も少なくないと知って
かなりショックでした
戦争で人々が過敏になっていたのもあるかもしれないけれど
日本にはまだ差別意識というものが残っていて
それが根底にあるから
被爆者の差別も起こってしまったのかと思いました
大切なのは
そういったことがあったと知るだけでなく
差別は悪いことだという意識を持つことだと思います!
だから僕は絶対に差別しない大人になりたいです!!
乱文失礼しました
>やすさん、
こどもさんの1歳のお誕生日、おめでとうございます!!
子どもの誕生日って、自分の誕生日よりも
うれしいんですよね~~~(*^_^*)
りんごあめさん
ありがとです(^O^)
やっぱり嬉しいものですね~o(^-^)o
差別なんて絶対許せない!ボクはこれからは絶対にそんなことしない!
で兵士の証言 貴重な番組放送中 自ら命を断つ同期悲惨です
僕の周りでは部落差別の問題が身近なんですけど
人間は自分と違った所がある人に対して優位に立とうとするからとても卑しい生き物だなって思います
間違った考えを否定できるただしい知識と、人として当然の行動ができる勇気を持たなければいけないですよね
孝昭くんち一家は相当勇気ある家だったと思います
でも正しい事をするのが当たり前なんだって世の中にするのが僕ら世代の課題ですね
おばあさん、息子さんが差別を受けたの、ものすごくつらかったと思います…
でも、孝明君と早苗さんがいて、救われていたのですね。
孝明君一家がいてくれて、ほんとうによかったです。
僕は広島に住んでいる読者です。みなさんにお願いします。
原爆について真剣に考え続けてください。
一人でも多くの方が広島長崎を訪れ、資料館などを見学して多くのことを考えてくれることを望みます。
ママチャリさんこれからもがんばってくださいね
はじめまして
広島のことが出たので、コメントさせていただきます
高校のときから、読み進めて受験などを乗り越えて
ここまでたどり着きました…;;
とうかさんは今でもやっていますよ
広島に住んでいると毎年原爆関係の話を聞きます
確かに気味が悪いものはたくさんありますが、過去のものとしてではなく核兵器問題としてきちんととらえなくてはいけないものだと思います
くろわっさん、これからも応援してます